統制された情緒的関与 ~親が疲れてしまわないために~
子どもに限らず、「安心して話せる相手」とはどんな人でしょうか?
個人的には、「急かさず話を聞いてくれる人」「自分の意見ばかり言わない人」「イライラしていない人」「すぐに否定しない人」などが浮かびます。
バイスティックの7つの原則の中には、「統制された情緒的関与」というものがあります。
文字だけを見ると仰々しいですが、ざっくり言えば「相手に寄り添いつつ、決して情緒まで引っ張られない」ということです。
- 話し手が怒っている時、同じか、あるいはそれ以上に怒らない。
- 話し手が不安になっている時、同じように不安がる姿を見せない。
- 話し手が楽しく話している時には、一緒になって楽しんでくれる。
子ども側の心理として、例えば親が過度に心配をしたり冷たくなったりすると、当然ですが不安になります。
逆に楽しい話をしているのに、リアクションが薄かったり、妙に冷たくあしらわれたりしても同じように不安になるでしょう。
「心配させるかもしれない」
「きっと理解してくれない」
「怒られるかもしれない」
「嫌われたかもしれない」
そんな気持ちを抱いたとき、子どもは、親に相談するということをあきらめてしまいます。
他に相談する相手がいなければ、そのまま気持ちを抱え込むことになるでしょう。
抱え込むということは「我慢をする」ということです。
我慢には必ず「限界」があります。
人は永遠には我慢できませんし、我慢していたものがある日急に煙のように消えてなくなるということもありません。
いずれは、我慢していたものがあふれ出てくるものです。
そして厄介なのは、人間の我慢はコップに注いだ水と違い、どのようにあふれ出るかは人によって千差万別だということです。
同時に親にも同じことが言えます。
楽しい感情ならいざしらず、子どもの負の感情まですべて引き受け、子どもと同じように怒ったり不安になったりしていると、当然親も疲弊します。
意図せず子どもに冷たい態度をとってしまうかもしれませんし、うっかり思ってもいないようなことを言う可能性だってあります。
親には親の悩みや困りごともあるわけですから、二人分の悩みがのしかかってくることになります。
「情緒まで引っ張られない」とは、「感情に振り回されない」とも言い換えられます。
「統制された情緒的関与」は「感情に振り回されずに自分を守りながら相手を支える」ということを忘れないための合言葉だと私は受け止めています。
子どもも人間、親も人間です。
感情に振り回されれば、予期せぬ弊害が出てしまうことは十分あり得ることです。
無感情に生きろなどと言うつもりはありません。
楽しい時には子どもと一緒に笑い、
苦しい時には穏やかな気持ちでしっかり話を聞く
それだけで、お互いに気持ちが楽になるのではないでしょうか。


